第43話   庄内竿の古竿 その1        平成27年11月20日  

 庄内竿の古竿は、漆を塗ったような真っ茶色に変色しているものが多い。昭和30年代の頃の釣道具屋さんの竿棚に置かれていた竿の殆どは前年の1011月に採り翌春に矯めたばかりの新竿で、4年も5年も鍛え抜かれそして煙で燻されている一級品の竿は見た試しがない。正に粗製乱造の時代であった
当時酒田には東北で一番の売り上げを誇っていた黒石釣具店をはじめとしてそうそうたる店が数多くあった。黒石釣具店は売場の右側に縦に五段くらいの竿棚が作ってあった。流石釣具販売の一番と云われるだけあって、一段には常時中古の良竿や美竿、たまにはそれ以上の名人が作ったとおぼしき最上級の名竿が並ぶ事もあった。そんな竿を目の保養とばかりに、足しげく通ったものだ。
 学生時代のお小遣い程度では、いくら中古とは云え、到底買える竿等一本もなかった。それらの竿を手に持って釣竿の感触を楽しむだけが精一杯の楽しみであった。それらの高価な竿の感触を身に持って覚え、「何時かは・・・絶対に持って見せるぞ!」と心に刻んだものであった。当時の自分に買えるのは、魚が釣れると曲り癖の出て来る二年子の苦竹や布袋竹の安竿でしかなかった。使えるお金はお年玉とお小遣いを数年かかりでやっと貯めに貯めた二、三千円が限度である。それらの安竿は、十回くらい使うと曲り癖がつく。そんな竿は十回も使うと、釣具屋に持って行き真っ直ぐに矯めて貰う必要になる。しかし、矯めて貰うお金が勿体なくて矯め木を買って来て仏壇から、櫨蝋で作った古い絵ろうそくを持ち出して来て、火鉢を使って自分で下手なりに矯めるようになる。そんな風にして、釣具屋の若い衆の矯めを見よう見まねで自然と矯め方を覚えて行ったものだった。

 黒石釣具店の奥には弟子と云われる人たちが、数人いて何時も庄内竿を作っており、竿を火にかけてしゅるしゅると竿を扱いで矯めていたものだ。釣りに行かない時は、何時もその工程を盗み見ては、家に帰って試して竿を矯めて見たものであった。
 後にそれらの古竿は、目の保養だけでなく、作り方や買う時の為になった気がする。